はじめに

この文書は、2007年4月14日から約1ヶ月、トップページの「雑文」にて公開していたものを基に、加筆、改訂を行ったものです。

いきなり結論を書いてしまうと、米空軍が定める宇宙の高度は50マイルですが、これはノーティカルマイル(国際海里)ではなくスタチュートマイル(法定マイル、一般的な「マイル」の方)です。メートル法に直すと約80.5kmであり、92.6kmではありません。

詳しくは、以下をお読みください。

きっかけ

「宇宙」の境が92.6km?

2007年4月14日のこと、何かの単語でぐぐっているときに日本語版Wikipediaの宇宙飛行士のページがヒット。そこには米軍では50ノーチカルマイル(92.6km)以上の高空を宇宙としておりの一文がありました。他にも宇宙のページに同じ記述があります。

(上記のWikipediaの項目は、この文章を書いている2008年5月11日時点での最新の版にリンクしています。項目自体のURLは、宇宙飛行士がhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A3%AB、宇宙がhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99です。Wikipediaはwikiのシステムを使っており、内容が大幅に変わる可能性があるので、執筆時点のものにリンクするようにしています。)

極超音速実験機X-15の操縦者のうち何人かが高度50マイルを超えて宇宙飛行士記章をうけてますが、このときの50マイルは約80.5kmと覚えてました。1980年代にこの辺の情報をかじっている方なら馴染みの数字ではないかと思うのですが。ということで、92.6kmとする記述には疑問が湧きました。

Wikipediaの信頼性についてはいろいろ言われていますが(一時期私も書いてただけにこの辺はなんとも)、これについてもデタラメなのかなぁと思いつつ、とりあえず調べてみた次第です。

ふたつのマイル

高度何メートルからが宇宙なのか。到達高度の競争など、記録という点でみた場合は2種類の答えがあります。

  • 高度100km。国際航空連盟(FAI)による規定。
  • 高度50マイル。米空軍による規定。

2004年に民間初の宇宙船となり賞金1000万ドルを手にしたスペースシップワンというロケット機があります。なんで宇宙に行ったと認定されたかというと、上昇して高度100kmを越えたからです。賞金を獲得するには他にもクリアすべき条件があるのですが、宇宙に行ったかどうかという点では「高度100km越え」というのが重要な点だと思います。100kmという数値は、国際的な航空宇宙関係の記録を公認する機関である国際航空連盟が線引きしているだけで、そこを越えると突然空気がなくなるとか、そういった事はありません。国際航空連盟についてはWEB版「航空と文化」 FAI(国際航空連盟)100年の歩みと今 平沢 秀雄がわかりやすいと思います。

一方、高度50マイルというのは、主にX-15の記事で見かけたのは上記のとおりです。

この50「マイル」ですが……。「マイル」という長さの単位は二種類あるのが問題になってきます。

  • 法定マイル(スタチュートマイル、1マイル=1.6093km)
  • 国際海里(ノーチカルマイル、1マイル=1.852km)

1マイルを4分以内で走れるか、という場合の「マイル」は約1.6kmの方。主に陸上で使われる単位のようです。この場合だと50マイルは約80.5kmになります。単に「マイル」という場合に使われるのはこちらのほうだとか。

船や航空機で使われるのは約1.8kmの方。この場合だと50マイルは約92.6kmになります。

X-15の高度記録ではどうだったのでしょう。航空機だから約1.8kmの方かと思いきや、1.6kmの方だったのです。X-15の記事があった『メカニックマガジン』1982年5月号では当時アメリカ空軍では高度五〇マイル(八〇・五km)以上を宇宙と定めと書かれている箇所があります。80.5/50=約1.6になりますね。他にも米空軍関係の話で宇宙を約80kmと書いた書物があったように思います。

ということで私としては、米空軍による宇宙の高度50マイル=約80.5kmと覚えていたのでした。

どっちが正しい?

日本語版Wikipediaの影響でしょうか、検索をかけると宇宙の高度で92.6kmもしくは50ノーティカルマイル(ノーチカルマイル)とするページが登場するようになってきました。多くは日本語版Wikipediaの内容をそのまま表示するサイトがヒットするようですが、個人のブログなどにも登場するようになっています。

宇宙まで50マイル――この場合の「50マイル」は、法定マイルの80.5kmなんでしょうか、それとも国際海里の92.6kmなんでしょうか。

調べてみる

米国版Wikipediaの場合

米国版Wikipediaの場合、Astronautの項目ではHowever, in the United States, professional, military, and commercial astronauts who travel above an altitude of 80 kilometers (50 mi) are awarded astronaut wings.と記述されており、日本語版と食い違っています。80kmってことは、50マイルのマイルは国際海里ではなく法定マイルという事になりますね。下のほうではThe United States Air Force also presents an Astronaut Badge to its pilots who exceed 50 miles (80 km) in altitude.という記述もあります。

また、X-15の操縦者の一人であるジョー・エングル(Joseph Henry Engle)のページでも50 miles (80 km) の記述。

他にもNorth American X-15では事故で死去した操縦者アダムスに宇宙飛行士記章を贈ったことが書かれていますが、その時の記録についてX-15-3, which had attained an altitude of 266,000 ft (81.1 km, 50.4 mi.).と書いています。

米国内でも混乱?

さらに検索を進めていくと、SpaceShipOneに関する議論のツリーがヒット。このマイルは法定マイルか国際海里かどっちだ、ということで議論になってるような感じがします。とりあえずUSMA:30234の発言では、50ノーチカルマイル(92.6km)以下の高度到達で宇宙飛行士記章を貰った操縦士ピート・ナイト(マッハ6.7を出したウィリアム・ナイト)の例を出し、これは法定マイルの方だろうと書いているようです。

NASAのサイトで調べる

ジョー・エングル

X-15 Biographies Joe H. Engleのページでは、ジョー・エングルが1965年6月に28万600フィートの高度にあがり、8人のパイロットの一人になったとあります。

In June of 1965, he also climbed to an altitude of 280,600 feet and thereby became one of only eight pilots-all from the X-15 program-who have qualified for astronaut's wings by flying an airplane into space.

X-15を操縦したのは全部で12人、うち宇宙飛行士記章をうけたのが8人。1フィートは0.3048mなので、280600フィートは約85.5km。高度85.5kmに到達して宇宙飛行士記章をうけたなら、米空軍の50マイルというのは約80.5kmの事でないとおかしいことになります。

ちなみにこのページはURIを見ると判るとおりNASAのサイトですので、数値等の信頼性は非常に高いはずです。ジョー・エングルはこの後2回高度50マイルを超えてますが、いずれも最初の記録より少し低い高度であり(これはメカニックマガジン1982年5月号に掲載されている記録表から)、90km以上を飛行していません。

ちなみにジョー・エングルは米空軍ですが、1966年にはNASAの宇宙飛行士となり、アポロ14号のバックアップクルー(月着陸船パイロット)、スペースシャトル1号機「エンタープライズ」の飛行士をへて、1981年と85年の2回スペースシャトル機長として宇宙に出ています。

ウィリアム・“ピート”ナイト

先程話の出たウィリアム・ナイトの場合もX-15 Biographies William J. Knightのページに記述があります。

During 16 flights in the rocketplane, Knight also became one of only five pilots to earn astronaut's wings by flying an airplane in space when he climbed to 280,500 feet on October 17, 1967.

16回のロケット機(X-15の事)での飛行のうち、1967年10月17日に280500フィート上昇し、宇宙飛行士記章をうけたそうです。ジョー・エングルが記章を受けたときより100フィート低い高度です。ということでこのときも高度80.5kmは越えていますが92.6kmには到達していません。

ウィリアム・ナイトはX-15A-2(大破したので大改造を施されたX-15の2号機)で、1967年10月3日にマッハ6.70(7274km/h)の最高速度をたたき出した人です。この記録は有人での航空機としては未だ破られていません。のちに政治家として市長や上院議員になってるみたい。

JAXAのサイトで調べる

この項目は2008年7月6日に追記したものです。アンカー先移動のため、2014年3月28日に改訂しています。

JAXA宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター内にあるよくある質問&回答集 (FAQ)に、その物ずばりの項目がありました。

カテゴリは宇宙の理科。その中のQ07、空と宇宙の境目はどこですかというもの。

ファン!ファン!JAXA!のページに空と宇宙の境目はどこですか?という項目がありました。

国際航空連盟(Federation Aeronautique Internationale: FAI)という組織が、高度100kmから上を宇宙と定義しています。なお、米国空軍は80kmから上を宇宙と定義しています。

引用箇所の次に100km Altitude Boundary for Astronauticsというページを紹介しています。

また、JAXAでもないし今回のマイルの件とも関係ないですけど、どのあたりを境界にするかという案はどのようなものがあったのか、という事について書かれたPDF文書がありました。J-STAGE [科学技術情報発信・流通総合システム] 電子ジャーナルにあった、名和小太郎氏による「領空か 宇宙空間か」という論文です。領空か 宇宙空間かというページからPDF文書にリンクされてます。

書物の例

多くの本で書かれているから正しい、という事にはなりませんが、とりあえず書いておきます。手元にある本で調べただけで、本屋や図書館に行けばもっと出てくると思います。

『メカニックマガジン』1982年5月号
先に書いたとおり、「NASAレポート(7) より速く、より高く X-15 STORY」という記事に記述があります。他にも199回行った飛行記録の詳細な表などがあります。
『世界の傑作機 X-プレーンズ』1997-11 No.67
持っているのは2000年に重版した第2刷の方。X-15に関する記事がある25頁に、高度50miles(80,465m)の記述があります。
『宇宙からオーロラは見えるの? 宇宙飛行士が答える380の質問』2001年6月30日発行
「公式に宇宙飛行士と認められるのはいつから?」という質問の回答として必要なのは、高度八〇キロに到達することだけなんだ。それが宇宙飛行士の公式な定義づけさ――「地球上空八〇キロを飛行した人物」っていうのがね。の一文があります。
その後、ニール・アームストロングとジョー・イーグル(エングル)がNASAで飛ぶより先にX-15で宇宙飛行士になったと書かれてますが、調べた限りではアームストロングはX-15では高度80kmに達していないようです。
『スペース・ガイド2003』平成15年(2003年)2月10日発行
アメリカの有人宇宙飛行の項目に、参考としてX-15による主な宇宙飛行として5例の情報があげられています。(注)として高度80.5km以上(アメリカ空軍)とあるほか、高度80km以上を飛行し「宇宙飛行士」の資格を取得しているの一文もあります。
『NASA 極超音速機の挑戦』2003年2月20日第1刷
182頁に米空軍(USAF)の「高度五〇マイル(八万〇四六五メートル)以上は宇宙圏とする」との定義を満たしてという記述があります。著者は中冨信夫氏です。

結論

50マイルは80.5km

主にNASAのサイトに書かれていた数値を根拠とし、米空軍の規定50マイルというのは約80.5kmであり、法定マイル(スタチュートマイル)の方だ、という結論を出しておきます。

米空軍のサイトとかでこの辺のことを明記しているページがあれば良かったのですが、検索したところではわかりませんでした。米空軍の基準が、昔は法定マイルだったのが現在では国際海里に変更された、というのはあるのかな?

この辺、「マイル」に複数の意味が与えられているのが問題ではとか、マイルと略さずスタチュートマイルかノーチカルマイルかはっきり記述するべきとか、そもそもマイルとかフィートとか使うなとか、なんかいろいろと思ってしまうのでした。

米空軍の50マイルが92.6kmの方とする資料が日本語版Wikipedia(と、その記事を引用したと思われるサイト)くらいしかないんですね。規定が変わったのなら変わったことを記す文章が見つかっても良さそうなのですが、それらしいものは見つかりませんでした。変わったならTechnobahnあたりがネタにしそうな気がするのですが、そんな記事見た記憶は無し……。

ちなみに私は「英語に恨みを持っているのか」と言われたくらい英語がダメな人間なので、英語で書かれたサイトを読むときにはexciteウェブページ翻訳テキスト翻訳を使ってます。なので、英語サイトの内容を正しく理解しているという保証はないのでした。

蛇足

使い分け

ノーティカルマイル(国際海里)ですが、これは地球の表面上の1分(角度にして1/60度)に相当する距離になります。地球1周が約4万kmなので、40000/360/60=1.851851……となり、約1.852という数値がでてきます。船や航空機の速さの単位である「ノット」は、1ノーティカルマイルを1時間で進む速さになります。

海図を見て航行する船舶は、速さの単位にノット、距離の単位にノーティカルマイルを使うと便利との事です。海と船のQ&A Q10:船の速さ:ノットって何?などに書かれています。航空機がノットやノーティカルマイルを使うのも同じ理由だろうと思います。

ということで、海面を進んだり、高空を水平に飛ぶのなら、ノーティカルマイルを使う意味があると思いますが、垂直に飛ぶ場合は特に意味がないように思うのでした。

でもってさらに調べていくうち、垂直方向の距離を示すのにノーティカルマイルを使っている例を発見。国際宇宙ステーションNASAステータスレポート #02-41で、これにより、ISSの平均高度は1.5ノーティカルマイル(約2.8km)上昇し、243マイル(約391km)となりましたの箇所があります。原文ではraising the station's average altitude by 1.5 nautical miles to 243 statute miles (391 kilometers). の箇所かな。とりあえずノーティカルマイル、スタチュートマイルと明記しているので、混乱することはないと思うのですが……、なんで二種類のマイルを使っているんだろう? 運動によって変化した量を示すのがノーティカルマイルで、絶対的な値(この場合高度)がスタチュートマイルを使うのが慣例とか?(←適当なこと書いているので気にしないでくださいね)

あと、水平に飛ぶのならノーティカルマイルを使う意味があると書きましたが、自動車などのほか飛行機の速度を示すマイル毎時(mph)ってのは、1スタチュートマイルを1時間で進む速さの事とか。国際線の航空機の客室にそのような表示があるとか……。私は飛行機は国内線に3回乗っただけなのでこの辺は知らないのですが……。操縦者にはノットの表記が便利だけど、乗客にはマイル毎時の方がピンと来るのでしょうか。この辺の使い分けがさっぱりわからないのでした。

92.6kmという記述はいつから?

日本語版Wikipediaでの「スタチュートマイル」という記述がいつから書かれているのかを調べました。といっても履歴をさかのぼっただけなんですけどね。

宇宙飛行士での記述は2006年1月1日から、宇宙での記述は2007年1月24日(UTCなので日本時間だと9時間差し引いて23日かな?)に書かれています。50マイルってのがノーティカルマイルで92.6kmの事というのは、何を根拠に書いたのか、出典を知りたいところです。